手弱女メント

むつごとをしても一人

令和4年1月3日

3年ぶりに里帰りした。タトゥーを入れたことは家族には言わなかった。3Pした。聖教新聞の見出しには青年・飛躍の年と書いてあった。茨城弁を喋ったら小中学校の同級生が喜んだ。ツーとカーでなんとかなる。それが方言の功罪だと思った。伝えたいことは何一つ言えなかった。でも楽しかった。子供がいる同級生が増えた。飽きたり辛かったらバイトをやめて、女は頃合いを見て子供に夢中になりキャリアなんて考えもしない。男はほとんどブルーカラー。そんな世界には居場所がなかったから上京したし、半ば馬鹿にしていた、馬鹿が馬鹿を再生産する地方の構造を、その人生の強度を羨ましいと初めて思った。